コラム

【僕がバアちゃんに教えてもらったこと】

以前にも書いたのですが、

たまに発信して、初心にかえりたくなるんです。

僕のバアちゃんは最高でした。

祖父は元海軍の船乗りで

仕事も貿易船の船長などをしていたそうです。 

家にはクジラのヒゲが飾ってありました。

そしてお酒が大好きで僕の記憶では

常に飲んでいました。

年に数ヶ月しか家にあらず

僕の母と伯父を祖母は女手一つで育てていたそうです。

そんな祖母がどんな人かというと、

いつも自分以外を心配し、

自分のことは後回し、

いつも笑顔で、

口癖は「お腹空いてない?」でした。

僕は初孫で、しかも娘の子どもということもあり、

それはそれはもう溺愛されていました。

他の孫は僕から下は4才以上離れていたので

4年間は間違いなく僕の天下だったのは言うまでもないですね(^^)

祖母とはたくさんの思い出があります。

会いに行くといつも本当に笑顔で迎えてくれ、

実は小学校4年生までオンブをしてもらっていました。

その当時、僕と背が変わらないという笑

もちろん怒られたことは一度もなかったです。

本当に記憶にないですね。

高校生まで、会うたびにお小遣いをもらっていました。

さらに恥ずかしながら高校で停学になった時、

祖母と二人で1ヶ月住んでいたこともあります。

学校のことなんて何一つ聞かれず、

「おばあちゃんはいつでも裕太の味方だからいつでもきなさい」

いつもこう言ってくれていました。

僕は、そんな祖母が大好きでした。

そんな祖母は山の方に住んでおり、

祖父が他界してから一人暮らしでした。

誰とも話すことのない1日もありました。

祖母は心配をかけたくないと

多少のケガや病気で誰かを頼ることはありませんでした。

そのうち気づかないうちにアルツハイマーが進み、

やがて、一人で生活できなくなります。

施設か、誰かの家に引き取るか、引っ越すか、、、

ですが、叔父も僕の母も

当時、経済的余裕がありませんでした。

そのまま山で介護認定を受け、

週に1回誰かが様子を見に行き、

あとはヘルパーさんに委ねる形になりました。

この時、叔父と母がお金のことで喧嘩しているのを

よく止めたことを覚えています。

その後、全てをヘルパーさんが見れるわけもなく、

祖母は自分の食事、水分の管理もできなかったので

ある日、栄養失調と熱中症で倒れ入院します。

そこから祖母がまた、、、

家に戻ることはありませんでした。

約2年半病院で過ごします。

そんな祖母はお見舞いに行くたびに

僕にこう言います。

「お腹空いてない?」

ほぼ僕が誰なのかさえわかっていないのに!

これが愛情、

思いやりの心を持った人の本質なんだと、

この人の孫で良かったと心の底から思いました。

その祖母から教えられたことは

今でも僕の中で生き続けています。

その状況を見て、

「僕に経済的な余裕があったら

 もっとしてあげられることがたくさんあった」

と心の底から思いました。

そうすれば親がケンカすることもないし、

祖母が1人で山にいることもなかったし、

大好きな祖母の最後を

もっと豊かに過ごさせてあげることができたかもしれません。

当時の僕は、ただただ泣きました。

ですから僕は、

お金がないと大切な人の力にはなれないと

強く、強く痛感しています。

起業当時の僕の心にはこういう想いも原動力としてあり、

今でもこうして思い出し、エンジンに火を点け直すこともあります。

この記事が誰かの心を動かせれば幸いです(^^)

小さな勇気[選択と行動]で未来は変えられます。

それでは、あなたの成功を願って✨

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